アイカツ!スターズという新たなバトンの受け取りても発表され、一つの終局に向けて加速を続けるアイカツ。
今週はジョニーを狂言回しに、シークレットゲストを探しまわることでいちご世代を全員カメラの前に引っ張りだす、バラエティ豊かな回でした。
後半は一夜限りの復活を成し遂げたWMをしっかりと掘り下げ、神崎美月が背負ってきたもの、夏樹みくるが一緒に背負ったものを再確認し、未来への希望を繋ぐ回でした。

パーティーの終わりが近づく中、アイカツという物語の舞台で輝いたキャラクターたちは、次々物語に一つのエンドマークをつけています。
前々回なら天羽&凛、前回はドリアカと来て、今回はWM……と言いたいところですが、一期を支えたスターライトのメンバー全員のラストダンスだった気がします。
とにかくバラエティ豊かに、フルメンバーが楽しく、可愛く活き活きと動きまわる元気さは、最後の祭りに相応しい賑やかさでした。

この祭りを可能にしているのが暴走特急ジョニー別府でして、彼が間抜けを装っていろいろ動き回ればこそ、シーンはテキパキと切り替わり、様々なキャラクターが顔を出せる。
こういう戯けた仕事をしっかりやりつつ、例えば第96話ではスペシャルアピールの壁にぶち当たるあかりちゃんを厳しく優しく指導し、第117話では仕事がブッキングしたスミレちゃんの父代わりとして、スーツを着て頭を下げることも出来る。
ここ最近の総まとめの空気の中で目にする、あらゆるキャラクターたちに感じることですが、彼もまた立派な存在だったなと思います。

ハイテンションに騒いで踊って空回って、とにかく画面が賑やかで楽しい。
今回の演出はコメディアンとしてのジョニー先生の魅力を、最大限引き出してくれるありがたいものでした。
彼の底抜けに元気な普段の仕草と、その裏側にある教師としての鋭い目、優しい包容力は、悪意が存在しないアイカツ世界に確かな説得力を与えてくれる、大事なピースだったように思います。
アイカツ!世界にスポットライトが当たらなくなる時間が近づく中で、アイドル以外の存在にも感謝と経緯を忘れず、しっかり尺を使って彼らの美点を物語に焼き付けてくれるのは、本当に感謝しかない。

アイドル以外という意味では、マスカレイドの二人も濃厚な湿度を放って、自分たちの物語をまとめていました。
一度は離れた道が再び重なり再結成なったWMと、自分たちを重ねあわせる母親(もしくは教育者)視線は、お話のテーマと自分の物語の終わりを、コンパクトに重ねあわせる良い見せ方だったと思います。
かつて第47話で美月さんがぶっ壊れかけた時にマスカレードを再結成し、後輩の挑戦に花を贈った物語を、劇中最後のSLQCを前にWMが今回受け継ぐ構図と、綺麗な対比ですね。
最後の最後まで、学園長の屈折して重たく湿った愛情は最高に最高で、ずっとりんごさんに横恋慕し続けて欲しいと思えました。


アイドル以外も元気でしたが、当然アイドルも元気も元気で。
ソレイユの三人にぽわプリ、WMにかえユリと、一期メンバー総出演の賑やかなお話となりました。
既にソレイユは第125話で、ぽわプリは第148話で、かえユリは第79話と第150話で、それぞれ自分たちの物語を総括しているので、話の主役にはなりません。
しかしやはり彼女たちが出てくれば嬉しいし、活き活きとした姿を見せてくれればなお嬉しい。

今回は作画も可愛らしく艶めかしく、各キャラクターの一番キュートな瞬間をしっかり切り取ってくれる見せ方をしていて、『ああ……最後の最後に良いもん見たなぁ……』って感じです。
シークレストゲストの発表に無邪気に喜ぶおとめとか、それを保護者の目線で見守るぽわプリとか、ドルオタ回路全開の姐さんとか、ぶっちぎりのナマクラ力を発揮した蘭ちゃんとか、看板娘でもアイドルでも可愛いいちごちゃんとか、控えめに言って最高だった。
何よりもラストシーン、"ShiningLine"をBGMに交わされる視線のバトンが、お互いの背中と瞳を睨みつけながら走ってきた三人のドラマを一瞬に凝縮していて、素晴らしい表現でした。
三人の主役(映画で彼女たちが同一のステージに上ったのは、ほんと総括として、予言として、完璧だったんだなぁ)の中で唯一SLQCに挑む資格のあるあかりちゃんが、しっかりとノスタルジーを振り捨てた決意の表情をしていたところが、アイカツを最高に信頼したまま未追われる確信を産んでくれました。


後半の主役であるWMにしても、自分たちの過去を振り返りつつも、けして描写されることはないだろう無限の未来に強い希望を持ち、今できる精一杯としてステージを務めていた姿に、強い敬意を感じます。
悪意が存在できないアイカツ世界に説得力を持たせるために、一人だけ圧倒的な厳しさを体現していた神崎美月。
あまりにも無敵すぎる彼女がしかし、一人の少女であることをこのアニメは絶対的にきっちりと切り取り続けて(例えば第42話、第47話)、アイドルという概念と少女という生身の合間で苦しむ彼女の姿を、誇り高く描いても来た。
だから、映画での「譲るのではなく、奪われたかった」という台詞は、ある一つの夢を一人で背負い続けてきた女の子の存在証明として、圧倒的なリアリティを持っているわけです。

そんな美月が孤独に耐え切れるほど強い存在ではなく、星宮いちごに『一緒に走れる相手』を見ていた恋慕の姿は、一期からずっと続いて描かれてきました。
しかしいちごにとって美月は背中を見つめ、瞳を見つめて、高みに駆け上がるための活力をもらう憧れの存在であり、霧矢あおいのように片手を繋いで一緒に走っていく存在ではなかったのです。
第50話、"カレンダー・ガール"を長尺で流し台詞を排除したあまりに濃密な空間の中で、いちごとあおいの絆に美月がどうあっても入り込めない切なさもまた、強く描写されてきた。

だからこそ、神崎美月がアイドルの象徴を止め人間に戻るために、夏樹みくるが必要だったのだと思います。
憧れではなく、片手を繋いで一緒に走っていく、神崎美月にとってのパートナーなしでは、あの人は止まることが出来なかった。
第47話で暗示されているように、『アイドルの天井』として半分人間をやめていた美月はあの当時既に限界であり、神崎美月一人を厳しさの舞台装置として使い倒す、劇作の歪さからアイカツ!を開放する意味でも、どこかで止まらなければ行けなかった。
神崎美月は正しく負けなければいけなかった、『譲る』のではなく『奪われる』ことで玉座を明け渡さなければいけなかったわけです。

そこにするりと滑りこんだのが、才能と根性だけが取り柄のド素人だったのは、今思い返せば良かったんだと思います。
アイドルとしての神崎美月ではなく、只の人間としての神崎美月と、夏樹みくるは楽屋で出会っています。
これは星宮いちごとの出会い(第一話)がステージの上だったこととは、好対照でしょう。
いちごとはけして築くことが出来なかった、一少女として対等で、師弟として挑発的な関係性を、みくると出会うことで美月はようやく手に入れた。
その結果が、第99話でのぎこちない抱擁であり、第100話での敗北であり、第101話での別れだったのでしょう。
神崎美月は正しく負けて、ようやく人間になったのです。

人間神崎美月の姿を、夏樹みくるがよく見ていたというのは、今回の楽屋での会話の中に濃厚に現れていたと思います。
トップランナーとして疾走を続ける重さ、痛さを共有し、あこがれの対象ではなく、ともに戦場で背中を預けるパートナーだからこそ見えてくる共感と尊敬が、当時からあったことを強く感じさせてくれました。
そういう戦友を、孤独な天才が手に入れられたってことは、本当に何億回感謝してもしきれない。


映画版で星宮いちごから、アイドルとしての神崎美月への濃厚なラブソングを捧げられ、美月はアイドルを続けることにします。
正直な話をすれば、僕は映画以降の神崎美月、第169話での復活以降の夏樹みくるが、かつての彼女たちよりも一等好きです。
『自分がアイカツ!を背負わなければいけない』という重責を、劇作的にもキャラクター的にも下ろした美月は、焦りから振り回してしまったトライスターに謝罪し、過去を取り戻して自然体のステージを完遂することが出来た。
庭師という自分の夢を走りきり、誇りを手に入れたみくるは迷う後輩に道を示すことが出来た。
『昨日よりも輝いた明日に向けて、まっすぐに走り続ける』という、アイカツ!最大の綺麗事にして魅力を凄く見事に体現した、主役からおりた彼女たちの姿は、とても人間的で素敵だと思うのです。

そんな彼女たちが今回再び出会い、自分たちの成し遂げたことを確認しながら手を繋ぎ、そして再び離す。
WMを一夜限りの復活と思い切り、過去を慈しみつつも、立ち止まることなく自分の道を走り続ける。
隣り合っていた過去に囚われることなく、あくまで闘争の輝きを求めてしまう辺りは、神崎美月らしさが全開だと思います。
でも、その闘争心と、美月の渇きに真正面から答えようとするみくるが、僕は凄く眩しく愛おしい。
あの戦いの先にある光景を、しっかり価値あるものとして受け取った先の、18歳の二人。
今回のお話には、夢を永遠に追いかけ続ける彼女たちの姿が、たっぷり詰まっていました。


みくると観月が楽屋で語り合っていた、ソロのアイドルとしてしのぎを削る『いつか』は、おそらく来ません。
今のアイカツ!を照らすスポットライトは3月で灯りが落ちて、僕らの目に映る形では彼女たちの物語は見えなくなる。
でも、アイカツ!というあまりにも輝いた物語は多分、ここで止まることなく続き、走り続ける。
その姿勢こそが、これまで紡がれた輝く沢山の物語よりも何よりも、大切で綺麗なものなんだと思います。

今回みくると美月が交わした約束を、『実際には見られない』と嘆いてしまうのは、非常に簡単です。
でも、あの対決と解散を受け止めて『此処から先』へとちゃんとたどり着いた二人が見れた今回に、あえて描かれることのない『此処から先』を言葉にしたのは、おそらくはフィクションの中で息をし先に進み続けている彼女たちに、敬意を払った結果だと思うのです。
あの子たちは、たとえ僕達がその姿を捉えられなかったとしても、絶対に前に進み続け、輝き続けるという、信頼と希望があればこそ、どれだけ望んでもどうしようもなく必然的に終わってしまうことへのニヒリズムではなく、終わってもなお瞼の裏で光り輝く夢の続きを信じる言葉を、ちゃんと形にしたのでしょう。

僕はそれを、真っ直ぐに受け止めたい。
WMだけではなく、ソレイユも、ぽわプリも、トライスターも、ドリアカのみんなも、同じように愛情と敬意に満ちた目線で『これまで』を慈しみながら、自分なりの『此処から先』を目指してずっと走っていくのだと、心から信じたい。
WMを象徴にして、全アイドルの『此処から先』を描く、見事なエピソードだったと思います。

既に自分たちの物語を終えたアイドルたちは、今回ほぼ完璧に自分たちのステージにカーテンを下ろしました。
残るは、未だ語られざる未来の為に走り続けている、バトンを受け取った側のアイドルたちの物語です。
彼女たちの今が過ぎ去った後、今回WMが美しく強く振り返ったように輝く『これまで』になるのか。
そこを足場にして、永遠の『此処から先』を信じられるような、靭やかさと麗しさのある戦いが展開されるのか。

後一ヶ月。
アイカツの終わりまで、僕は見守らせてもらいたいと思います。
そしてつくづく、アイカツが好きでよかったなと、今思っています。